映画『国宝』を観てきました。
正直、観終わった直後の感想は「……え?」というもので。
うまく処理できず、一晩眠っても、まだ心に何かが居座っていて。
静かな衝撃と、じわじわ広がる感動。
この気持ちが醒めないうちに、いま思っていることを、すこし残しておこうと思います。
祈るように舞う、美しさのかたち
吉沢亮さん演じる東一郎(喜久雄)が、ただただ美しくて、妖艶で、儚くて。
時が止まるような舞いに、何度も惹き込まれました。
1年半という準備期間、その努力の重みが伝わる所作でした。
セリフに重なる、生き様の片鱗
「その顔は邪魔も邪魔。いずれ自分が食われちまいますよ」
人間国宝・万菊さんのこのセリフに、吉沢亮さん自身がこれまで向き合ってきた現実が重なって見えました。
喜久雄という役が、まるで彼の分身のようで。
李監督が「吉沢亮しかいない」と言った理由も、わかった気がしました。
“演技”ではなく、“生きていた”
「魂を込めた」「役者人生を懸けた」と語った彼の言葉。
それが嘘じゃないと、スクリーンからはっきりと伝わってきました。
演技ではなく、まさに“祈り”のようでした。
これは“芸”に出会うための映画だった
実は、歌舞伎以外のシーンはほとんど公式SNSにも出ていて。
でも、だからこそあの舞の美しさをスクリーンで観る体験が、特別に感じました。
この映画は、現代人が芸に触れるための“装置”のようなものだったと思います。
『昭和元禄落語心中』との不思議な共鳴
わたしがずっと好きだった作品『昭和元禄落語心中』。
“芸に魂を売り、孤独と祈りを背負って生きる者たち”というテーマが、『国宝』とすごく重なって感じられました。
晩年の喜久雄の姿は、どこか八雲を思わせるものがあって。
いつか、吉沢亮さんで八雲を観てみたいとさえ思ったほどです。
アニメ『昭和元禄落語心中』については、
こちらの記事でご紹介しています:
https://yuru-life.club/rakugo_anime/
美しさの記憶を、ここに残しておく
感情がまだまとまりきっていないけれど、
この感動が消えてしまわないうちに、記録しておきたくて。
芸の重み、美しさの残酷さ、そしてその先にある祈り。
美しかった。ただ、ただ、美しかった。
映画だけでは追いきれなかった喜久雄の心を知りたくて、これから原作を読んでみようと思います📖
🎥 映画『国宝』公式サイト:
https://kokuhou-movie.com/
🧵 あわせて読みたい(Xの投稿もまとめました)
アニメ『昭和元禄落語心中』公式サイト:
http://rakugo-shinju-anime.jp/